メンツが変わらなくても変わりゆく話題にいつかついていけなくなる日が来るのかもしれない。
週末に1人で井の頭公園に行ってきた。
めあては公園そのものではなく、井の頭自然文化園。
敷地が広く、のどかで、今となっては珍しい小規模な遊園地もあるこの時期にぴったりの動物園である。
動物園関係者の間では、こんなことがよく言われると以前本で見た覚えがある。
「一般的に人生で動物園に訪れるのは3回。生まれて未就学のあいだ、小学校の遠足、そして、自分が親となり子供を連れていくとき。」
その日、ふと来園者に注意を向けると、立地に足してこの動物園自体の特性も手伝ってか、カップルはちらほら、1人で動物園に来る人間なんてなるほど物好きなようで、確実に親子連ればかりであった。少子化なんて嘘なのではないかと思うばかりに、その場で観測した世の中は子どもであふれていた。
私は今年25になり、一般的な大卒者が社会人3年目となる1年をここまで過ごしてきた。
「社会人3年目は結婚第1波がくるらしいよ。」
晩婚化が進む昨今、そんな言説も今や古しと思っていたが、一観測者の視点からすると確かに結婚に関することをよく見聞きするようになった。
友人のラインの名前が変わっている。
インスタグラムで挙式の写真を見かける。(どちらも現代的だなあ……)
グラデーション的に起こっているはずなのだが、どれも目立つようになったのは今年の話だ。
それに合わせて、誰からともなく話す話題も変わってきた。
仕事の話、転職の話、そして結婚の話。
久々に会った友人だとしてもこの3つでだいたい話はまわる。
かく言う自分も友人には「このまま今の彼女と結婚するの?」なんて聞いちゃったりして、自分自身にそんな予兆が微塵もないことを棚に上げ、すっかり世代の波に乗ったふりをして、この便利な話題を使っている。
井の頭自然文化園に行った次の日、大学入学前からお世話になっていた大学の一つ上の先輩が、転職の関係で卒業後居住していた関西圏からたまたま東京に来ているというので、東京にいる別の先輩と、同期の4人で会った。
近所に銭湯があるので、銭湯に行こうということになって、銭湯にいった。
この時点で散々話をしていて、そして、話の流れからここでも結婚の話になった。
(関西の先輩:西、東京の先輩:東、同期:同)
同「今の彼女と結婚することを考えてる感じですか?」
西「そうねえ、結婚自体はともかく子どもは欲しいんよなあ」
東「えー、大変だよぜったい。子どももだけど結婚したいと思わんなあ」
僕「個人的には好奇心が勝るんですよね、人が経験することはしてみたいというか」
西「それすごくわかる。だって45くらいで僕らの能力は頭打ちになるわけじゃん?そうなったらもう成長も何もないわけよさすがに。でも奴らは成長するもん、変化がみられる」
僕「そうですよね、変化がないとその先生きていくのはしんどい気もするし」
東「だから別に結婚しなかったら45くらいで安楽死でいいよー」
同「考え方が現代的だ・・・。でもなんか周り結婚して遊ぶ人いなくなると結婚する気になるとかも言いますからねえ」
東「まあそれはあるかも」
なるほど、男4人でこうして銭湯で話すことも、そう遠くない日に叶わなくなるのかもしれない。ようやく集まった時にはきっと子どもの話なんかしちゃうのかも。
自分が結婚できていなかったら、子どもがいなければ、その話題にはきっとついていけない。
どちらがマジョリティになるのかわからないけど、置いていかれる日がいつか来るのかもしれない。
未来のことは僕にはわからない。ならば、悲観的にならずに明日もまた頑張ろうっと。
銭湯で話をしている時、僕ら以外には1人おじさんがいるだけだった。
おじさんは、我々の話が漏れ聞こえていたのか、話の区切りに合わせて何度も深くうなづいているようにみえた。
おじさんはこれまでどんな体験をしてきて、今何を思うのか。僕らの話を聞かれるだけなのはフェアじゃない気もして、少し訊いてみたくなった。