寺嶋由芙×フィロのス2マンライブと諸々の話
音楽はその時の情景や出来事とよくリンクして記憶として残るなあ、と思う。
GreeeeNの「ルーキーズ」という曲を聞くと中学の頃部活の大会に遠征した真冬の朝のバスの中を思い出す。
YUKIのアルバム「POWER OF TEN」の収録楽曲は大学の夏休みに初めて車で通ったバイト先への道中を思い出す。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大学生活も後半に差し掛かった頃、僕は寺嶋由芙というアイドルを知った。
きっかけ自体は些細なものだったが、それ以降人生で初めてリリース日を追いながら新曲を聞くようになり、僕の記憶における情景や出来事と曲とのリンクは一人のアイドルの新譜を軸に、より強固に維持されるようになった。
寺嶋由芙 (Yufu Terashima) / わたしになる
「わたしになる」は初めてリリースイベントに行ったアルバムの表題曲で、自身のソロ活動初となるアルバムの発売に関連したワンマンライブにも初めて行った。
僕はその日人生で初めて鶯谷駅に降り立ち、ライブのMCで行われたクイズ大会では、「初めて来た分際で偶然正解を重ねてサイン入りグッズとかもらっちゃったらどうしよう」といういらぬ心配などをした。
また、渋谷で行われたトークイベントでは、(元)でんぱ組.incの夢眠ねむさんがサプライズゲストとして登場し、非常に驚いたのを思い出す。
寺嶋由芙 (Yufu Terashima) / 天使のテレパシー
「わたしになる」のリリース後1枚目のシングルは「天使のテレパシー」で、僕はなぜか特にお台場ヴィーナスフォートの教会広場で行われたリリースイベントを思い出す。
途中イベント自体にはほぼ行けない期間もあったが、寺嶋由芙さんの多くの楽曲において関連する記憶が存在する。これは普段日記を書こうと思っても一週間弱で途切れるくせに、時折淡く溶けていく日常に一抹の不安を覚えるようなややこしい属性を持つ僕にとって、すぐに手の届く記憶の引き出しが存在するという、実に嬉しい事実である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
寺嶋由芙さんとプロデューサーを同じくし、「天使のテレパシー」の作編曲を行った宮野弦士さんと、そのカップリング曲「みどりの黒髪」の作詞作曲を行ったヤマモトショウさんを楽曲作成の軸に添えた、フィロソフィーのダンスというグループがある。
1年ほど前先輩に誘われてイベントに行ったが、楽曲の良さとメンバーの歌唱力・声質が非常に魅力的なグループで、その後ライブにも行き、度々曲を聴くようになった。
2018年12月に発売されたフィロソフィーのダンス「ヒューリスティック・シティ」は、楽曲に関する細かな意味合いや表現などは僕がここに戯言を記すよりも、作詞作曲したご本人たちがブログ等に記しているのでそちらを読んでいただくこととして*1*2、平成しか知らない僕にとって平成の終わりをくっきりと輪郭づけるような大好きな曲である。
フィロソフィーのダンス/ヒューリスティック・シティ、ミュージック・ビデオ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そんな2組がそれぞれお世話になった現フィロソフィーのダンスマネージャーさんが卒業なさるということで、それをきっかけとしたツーマンライブが先日行われた。僕にとって願っても無い機会である。
ライブは寺嶋由芙、フィロソフィーのダンスの順に行われた。
寺嶋由芙パートでは、今回のライブの主役?でもあるマネージャーさんが以前付いていた時の曲である「ゆる恋」などが当時のエピソードとともにちりばめられながら、先日再結成が発表されたNUMBER GIRLのドラム、アヒト・イナザワさんがリミックスを行ったバージョンの「カンパニュラの憂鬱」も披露されるなど、充実のセットリストであった。また、ライブの最後には4月17日にリリースされる新曲の初披露もあった。
フィロソフィーのダンスパートではマネージャーさんが今聴きたいフィロソフィーのダンスセットリスト、ということでライブが行われた。多くの王道ともいえる曲とともに、前述の「ヒューリスティック・シティ」も聴くことができて、非常に嬉しかった。
最後は寺嶋由芙さんの「ぜんぜん」をコラボし、最終的にマネージャーさん含めた6人で踊る様子を観ることができた。
ライブ終盤、マネージャーさんが感極まる様子を観ながら、あるいは寺嶋由芙さんのライブ時のMCを思い出しながら、ふと、音楽に携わる、提供する側はそれこそ楽曲とともに記憶を築いていくんだろうなあ、と思った。当たり前のことなのかもしれないが、すごいことだと思った。自分の手で、自分の記憶の引き出しを残せるのか、と。
そんなことを思ったこの日のことも、僕はこの日聞いた楽曲とともに思い出す日が来るのだろう。
今後も新曲が僕の中でどんな記憶と紐づいていくか楽しみなので、これは聴き手側のわがままなのだが、楽しく、長く活動を続けて欲しいと思ってしまうのである。